相馬復興の恩人・二宮尊徳を祀った金蔵院地蔵堂
(2011.12.20)
相馬市西山にある金蔵院地蔵堂を訪ねました。このお堂は慶応2年(1866)に出羽の名工上杉主殿頭の作で、彫刻が見事でした。ここには相馬復興の恩人・二宮尊徳や相馬復興に尽力した時の家老草野正辰、池田胤直を祀っています。
お堂の裏には二宮尊徳の墓と慈隆の墓が有りました。
1833年(天保4年)から始まった天保の大飢饉で、相馬中村藩は藩の存続自体が危うくなるほど壊滅的なダメージを受けました。1845年(弘安2年)に農政改革や質素・倹約、協同、互助、譲り合いなどを思想的軸とする、二宮尊徳が唱えていた「二宮仕法」の導入を決定し、これを忠実に実行して、中村藩と藩民の窮状は幕末に向けて急速に回復しました。二宮尊徳が亡くなると相馬の人々は遺髪を乞い受け、愛宕山に葬り、石碑を建て、手厚く供養しました。 慈隆尊師は1854年(安政3年)藩主相馬充胤に招かれて、「二宮仕法」を推進し、金蔵院学塾を開いて、子弟の教育にあたり、藩士の処すべき道を示しました。
近くに観音堂と愛宕神社が有りました。 この観音堂は普陀落観音堂といわれ、渡海安全のため、1703年(元禄16年)に藩主相馬叙胤が建立した建物で、相馬領内33観音第7番札所、宇多郷33観音第22番札所です。 愛宕神社は火伏せの神様です。
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